庄内出羽人形芝居の起源

かつて東北に「手妻人形」と呼ばれた地方色豊かな人形芝居があった。

時代とともに消えて行く中で伝統ある高度な技術と独特な芸風を保ち、今も息づいている「庄内出羽人形芝居」。
約130年前雪に閉ざされた農民の娯楽として霊峰、鳥海山の麓で始まった与八人形が吉田勝若、小若に受け継がれ猿倉人形と名づけられ東北をはじめ各地で盛んに上演されていた。
猿倉人形の伝統ある高度な技術を継承し津盛柳太郎によって工夫、一層磨かれ独特な芸風を取り入れものが「庄内出羽人形芝居」である。

「庄内出羽人形芝居」 初代~津盛柳太郎~

「庄内出羽人形芝居」は、初代津盛柳太郎によって伝承された。
津盛柳太郎(本名:佐藤幸吉)は、大正13年秋田県矢島に生まれる。
5歳の時父に死別、盛岡の人形師・佐藤三津盛氏に引き取られ人形遣いの修行に励み、21歳で津盛柳太郎の芸名を貰い地方巡業の旅に明け暮れた。
その後、山形県鶴岡市に定住し活動を続け、テレビ「花王名人劇場」や、NHK、TBS、YBCなどに出演多数。その名人芸は多くの人々に絶賛をもって迎えられたが、初代津盛柳太郎は平成2年8月3日、66年の生涯に幕を閉じる。

伝統を受け継ぐ人形遣い ただ一人の継承者~津盛 柳貳郎~

津盛柳太郎の一番弟子、津盛柳貳郎によって「庄内出羽人形芝居」は独演継承されている。
津盛柳貳郎(本名:斎藤 均)は、昭和29年山形県酒田市に生まれる。
昭和49年母親が裏方を努めていた縁で初代津盛柳太郎に出会い、会社員をしながら修行を続け、昭和59年6月に二代目津盛柳貳郎を襲名した。

平成21年に襲名25周年を迎える。
記念事業として平成21年11月13日~14日に酒田市で「受け継がれてゆく伝統人形芝居in酒田」公演を開催した。
イギリスから同じ伝統手遣い人形劇「パンチ&ジュディ」を酒田市に招聘し共演した。